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第4節 鶴田友美の名勝負物語―コーチ学からの分析 プロレス名勝負の条件とはなにか。私は次の7視点をあげたい。 昭和48年10月9日 インター・タッグ選手権戦(蔵前国技館)61分3本勝負。
引き分けの試合だったがファンも関係者をも、唸らせ、私はこの1戦で100%の力を出し,スターの座と合わせて全日本プロの2番手の座も獲得した。馬場や猪木選手の場合は日本でプロレスラーとしての経験を積んでからの渡米武者修行で、ファンはその成長の度合いに期待したが、昭和47年10月に入団して3月に渡米した私には、ファンはその成長を計る物差しを持たなかった。馬場や猪木選手の帰国時よりはるかに不安が濃かったが、その不安を鮮やかに吹き飛ばせた私のファイトは、それだけに、より新鮮だった。華やかな日本でのデビューを飾った。記念すべき名試合となった。試合内容はスタートからスピーディな展開を見せ、若い私がガンガン動きまわった。荒削りだが、馬力はなかなかのものであった。長い攻防の中で私はドロップキックで一気にチャンスを掴み、1本目テリーを原爆固めで決めた。幸先よいスタートであった。大観衆は沸きに沸いた。2本目、テリーはラフ戦法に出た。意外な私の善戦でカク乱戦法に出て、ジュニアも大技に出た。必殺のバックドロップを出し、馬場は懸命にこれを防ぐと逆にネックブリーカー・ドロップで返し私も必死だった。フロント・スープレックス、サイド・スープレックスなどアメリカ仕込みの大型必殺技でテリーを追い上げるが、一瞬のスキを突いてテリーの芸術的なローリング・クラッチ・ホールドが私に決まった。いよいよ勝負である。残り時間は19分39秒、ザ・ファンクスは若い私を狙い撃ちにした。ジュニアがコブラツイストの波状攻撃をかけるが、馬場が残り1分で猛然と反撃に出て、ジュニアにヤシの実割り2連発出すが、ジュニアもバックドロップ、またそれを馬場はネックブリーカー・ドロップで切り返した。しかしカウント2で無情のゴング「あと1秒」の壁に泣いた試合であったと思う。この試合でコーチ学的には3人の師匠に囲まれて最初は緊張して自分で何をしているのか分からなかったが、観客の声援が聞こえるようになってから少し落ち着いて、自分のプレーに専念できるようになってきた。心・技・体の一致の難しさ、試合の駆け引きの大切さを学んだ。自分でも納得が行く無我夢中で頑張った帰国第1戦であった。コーチ学的には3人に試合駆け引きをされ、自分はそれに付いて行くのが精一杯であったのが実情であり、これから試合経験をつんで自分が試合をリード出来るようになりたいと思ったが、なかなか試合のキャリア、格、実力が備わらなければ出来ないものである。それが出来るようになってきたのは私がシングル王者になってからである。
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