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第3節 ジャイアント・馬場門下生としての鶴田友美
私のプロレス人生は23年目を迎えた。22〜35歳までは自分が強く成ることだけに執着した。40歳から体力の限界を知り、42歳で大病した事もあり、このままプロレスラーを続けるべきか、コーチ役に退き180度違う何かにチャレンジしようと考え、プロレスに入る前から心に秘めていた体育学の教師を志した。またプロレス界だけでなく広くプロ・スポーツ界の役に立てるようにと筑波大学大学院でのコーチ学の勉学の道を選んだ。
私がプロレス界に入った1972年〜80年代は1年間に150〜220試合あり、ほとんど地方巡業で2週間前後の休みをとり、この時に海外でテレビ収録のため試合に出て、また日本に帰ってきて地方巡業の連続であった。この時の練習はほとんど試合会場のマット上やバーベル、ダンベルで身体を鍛えた。90年代に入り1年間に130試合前後になり、休みも増え、合宿所での練習も出来るようになった。
また人間関係では古い日本プロレスではアマの大物が入るとき、例えば元柔道日本一の坂口征二が転向したときは、入門か、あるいはマット界内外の多少の抵抗は覚悟の上の転向と言うイメージが強く、私のように大学新卒の就職と言うフレッシュさ、明るさが無かった。古手レスラー上がりの幹部が、会社を経営していた日本プロレスと、理想のプロレスを求めて設立された全日本プロレスの、体質の違いも大きな条件であった。
私に素質と努力があってのものだが、私に「就職」と言わせるだけの希望に満ちた明るい会社であった。私がプロレス入りを「就職」と割り切ったこととも無縁でない。大学生が、理工科系は技術関係、経済学部は金融・商事、文科系はマスコミなど、自分の得意の学力を発揮出来る就職先を選ぶのと同じように、学生時代にもっとも得意だったレスリングで就職した私は、アマレスで鍛えた腕をプロのマットで存分に発揮したのだ。当たり前のことかもしれない。だが、それが当たり前ではない体質が、日本マット界にはあったと思う。例えばバック・ドロップは難度の高い、危険を伴う技であるが、アマレスの一流選手なら誰でも使う。しかし東京五輪アマレス代表の、サンダー杉山、マサ斎藤はプロレスは殺し合いではないから、危険を考慮して得意技とはしていなかった。ふたりが新人時代には派手で危険な技を使わせる日本マット界の体質ではなかったのだ。
彼等に関して言えば東京五輪代表と言う過去の栄光が、かえってマイナス面
に働いたことが多かった。「いいカッコはさせないぞ」と言う古手のレスラーの目が厳しかったのである。だが、私は理想のプロレスを求めた新団体だったのでノビノビとバック・ドロップを使った。レスリングで就職したのだから、存分にレスリングをやったのだ。そのフレッシュさが、私の魅力となった。馬場氏が「出る釘は打つ」と言う古い日本マット界の体質を排除し、私に思いきりやらせた陰のバック・アップが大きかったと思う。
このようにプロ・スポーツ選手はチャンスを、与える人とそれを確実にものにする人がいる。私はチャンスを与えられたのだから応えなければならない、期待を裏切らないレスリングをしなければならないと考えた。また私は小学生からレスリングを習うより、いろんなスポーツをやり、いろんな運動神経を身につける「生活筋肉」と言うか、いろんな角度から鍛えるほうが良いと思っていた。外国のようにスポーツ・マンがシーズンによっていろいろ違ったスポーツをやった方が総合的な体力がつくのである。日本では野球はシーズン・オフになっても野球を中心にトレーニングしている。ここで、基礎的な体力の差がつくのだと思う。日本の場合、練習にしても「根性」、練習は苦しいもの、苦しいものを乗り越えたものが勝利者になれるという風土である。外国は野球が好きなんだ、プロレスが好きなんだ、好きだからこそ苦しい練習をするという風土である。日本はなにか上からの脅迫観念のイメージがあり若い時は、私はあまり好きではなかった。
日本人は求道者の考え方でスポーツを捉えがちである。私が若い時、アメリカで体験した練習法は基礎のできた選手は40〜60分間集中してやる。日本野球では1日4〜6時間すると言うように全然違った練習法である。私は2時間順序良くやり、時々サーキット・トレーニング&球技を入れたりし、そうすることで目に見えない体力をつけ、総合的な調整力を養った。そういう目に見えないものが必要である。私はアメリカに行って、大リーガーや他のプロ・スポーツマンを見て素質、努力、生活環境が整っていると思った。アメリカ人の思想は家族が一番、職業は二番で、人間関係も(職業を離れれば上下関係なし友人関係の違い)日・米のスポーツ文化、生活環境が違うことで驚いた。日本野球も、今は水泳など、いろいろなトレーニングを取り入れるようになり、考え方を転換している。もちろん、日本の良い所、例えば師匠と弟子の人間関係も失うべきではない。しかし私の意見は日本社会では少数派であると思う。五輪で金メダルを取る為に、会社のため、国のためにガンバルのは重要かもしれないが、社会的価値観よりも、個人的価値観が重要である。一生懸命闘って、駄
目だったら堂々と帰って来たらいいと思う。なぜなら本人の素質、努力、勝負運で結果
が出てきたのだから。プロセスが重要で結果は後からついてくるものである。
私の人間形成への影響はまず高校時代の読書である。自分なりに解釈して、「いろんな知識、教養を身に付け悔いのない、一回しかない最高の人生を送りたい」と考えるようになった。現在の私も、年を取った時に最高の人生だったと言えるように、今を努力し、精一杯毎日を生きたいと思う。人間は20歳の成人式のときみんな同一線上に並んでいるが20年たつと差が出てくるのだと思う。その人の努力、素質、会社選びの運によってサラリーや社会的な信用に差が出て来る。人間が百年生きたとしても、宇宙は何億年〜何十億年も存在している。私は世界地図を見ては自分の存在を自覚するようにしている。悩んでいても、そんな風に考えると気分転換出来る。
私は坂本竜馬が好きで、「何をくよくよ川端柳、川の流れを見て暮らす」、「死ぬ
ときはドブの中でも前向きに倒れて死にたい」この二つの句がとくに好きである。過激な人生論だが、毎日を自分なりに一生懸命、結果
を恐れずチャレンジしながら生きることだと思う。「自分に悔いのない一生を送りたい。精一杯、前向きに生きたい。今こそ、大きく飛躍するチャンスである。たとえ、それが失敗であってもいいではないか。プロレスこそ、今までの経験を最大限に生かせるスポーツではないのか」と思い、多くの先輩の意見を聞きながら自己決定をしてきた。人間には挫折があり、それを前向きにとらえて生きるか、例えば神があたえてくれた試練と考えるかで、自分はダメな人間と捉えるか社会が悪いと考えるかに分かれる。そしてその人の人間的成長が変わってくる。たくさん挫折を体験し、前向きに生きる人が悩んで大きく成長し、予防には良き友人を多く持ち、肉体だけではなくメンタル・トレーニングも重要なことである。
体力という言葉はさまざまな意味に用いられるが、もっとも狭くとらえた場合には行動体力と生命体力といってもよいのではないだろうか。身体運動は筋の収縮なしには起こり得ないし、筋の収縮はアデノシン3リン酸なしには起こり得ない。ATPは身体のあらゆる運動の直接のエネルギー源である。身体運動のエネルギーは3種の方法によって産生される。このうち、ATP-PC系のエネルギーとLA系のエネルギーは、酸素を必要としないので無気的エネルギーとよんでいる。これらのエネルギー産生能力の指標には、酸素負債能力が用いられているが、代謝過程での乳酸の生成の有無によって、非乳酸性酸素負債能力と乳酸性酸素負債能力の2つに分けられている。エネルギー産生方法を車と対照してみると、ATP-PC系のエネルギーはバッテリーに充電されたエネルギーに相当し、02系のエネルギーは酸素を吸入しながらガソリンを燃焼しているときに得られたエネルギーに相当する。LA系のエネルギーに相当する機構、すなわち無酸素の状態でガソリンを有効に燃焼させる機構は車には備え付けられていない。
運動時間と関連づけてとらえたエネルギー系の体力要因
0秒〜10秒、ATP-PC系無気的パワー、筋力、ハイパワー
約10秒〜30秒、ATP-PC系+LA系無気的パワー、短距離型の持久力
約30秒〜90秒、LA系+ATP-PC系+02系無気的持久力、有気的持久力
約90秒〜4分、LA系+02系無気的持久力、ミドルパワー中距離型の持久力
約4分〜10分、02系+LA系有気的持久力、ミドルパワー中距離型の持久力
約10〜90分、02系有気的持久力、ローパワー長距離型の持久力
約90分以上、02系有気的持久力、ローパワー超長距離型の持久力
エネルギー系の体力も、運動時間と関連づけて、それぞれの運動にどのような体力が要求されるかを明らかにしておくことが必要であると思う。体力トレーニングを合法的に行うためには、体力とは何かを理解しておくことはきわめて重要である。これらのことは体力トレーニングの理論体系を確立していく場合の中心的な課題であり、その理論を確立していく場合には、体力とは何かを明らかにする場合と同様に、化学を親学問も1つとする運動生理学、運動生化学の分野における知見や、これらの分野で用いられている研究手法を積極的に活用しなければならないことは、いうまでもないことである。なぜなら、社会的存在であると同時に生物的存在である人間の体力トレーニングであるからである。
筋力を強化するのは全てのスポーツの基本だが、プロレスのように超過激な競技においては大前提である。受け身の練習やレスリングの基礎を習う前に、まず格闘用筋肉をつける運動から始まる。余分なものは排除して格闘に適した肉体改造をすれば良いのである。最近の若手の選手の筋力強化法はとても科学的で、プロテインパウダーやゆで卵の白味を食べて筋肉の主成分である蛋白質を摂取し、吸収しやすいようにアミノ酸を採ったり積極的で大いに効果
を上げている。また鍛え上げた素晴らしい肉体を見せるのもプロレスラーの仕事である。ボディビルダーの場合はバランスよく鍛えた美しさを芸術的に見せる筋肉である。プロレスラーをはじめ他の格闘技者は鍛え上げた筋肉を実践の武器として使わなければならない違いがある。スポーツにおける競技力は心、技、及び体の高いレベルにおける総合性により達成されることは論ずるまでもなく、プロレスにおいても例外ではない。しかしプロレスラーの競技力向上に関する研究は、あまり多く報告されていない。プロレスと社会学、力道山とマスメディア、プロレスはショーかスペクタクルか、などそれぞれ報告されており、日本、米国プロレスの文化の向上に貢献してきたものと言えよう。しかし、プロレスラーの競技力向上のための体力的課題においては、特に体力の質的向上と言う観点から、今後一層多面
的な研究が必要であり、それがプロレスラーとしてファンを魅了する事が出来る体力&技を研究するためにも必要である。科学的手法によって検討してゆかなければならない。プロレスにおいて勝敗を決定する体力的要因は筋力、筋持久力、無気的パワー、無気的持久力、有気的持久力、さらに柔軟性、調整力といったエネルギーを効果
的に発揮させる能力である。
鍛え上げた肉体と肉体の闘いからファンがエキサイトする。レスラーの肉体改造はVo2max,VT,AT,VE,VCO2,の体力測定評価をする。レスリングの巧みさ、闘争力、すごさ、技術、試合の主導権を握るなどは体力測定では出ない個人のキャラクター、パフォーマンスの表現力である。身体的特徴では身長が高い、体重が重いなど普通
の人が持ってない要素、素質、人間は身体の大きな人が格闘するのを見るのが好きである。(身体的形態)またタイガーマスクのように体格は小さいが素早い動きをする。(敏捷性、無気的持久力)1シリーズ20戦前後を闘える体力。スタミナ、有気的持久力も重要である。
筋力のすごさ、ボディビル的な筋肉はバルクアップ型であり、パワーアップ型は無気的パワー、無気的持久力はどんな技でも掛けたり受けられる柔軟性で技の幅が出てくるのである。競技スポーツ(世界一流の選手&オリンピック)では「遺伝+やる気+環境」が一流の選手の競技力向上の鉄則である。
遺伝とは両親から25%受けつながれ、双子の場合は50%(荻原兄弟)受けつながれる。
やる気とは技術的、心理的トレーニング法である。
環境とは日本は6、3、3、4制でコーチが変わり、学校教育のシステムの変換が必要でコーチの役割が重要である。
柔道の「やわらちゃん」は帝京大学で監督まで同じで、水泳の山田スイミングクラブなども同じである。これからは国から個人に価値観が変化し、人間関係、コーチ・選手の自立が必要である。プロやアマ選手は自分自身の個性を出して勝利に向かって進む時代である。
競技力向上のために欠かせない「栄養+休養+トレーニング」を毎日リズミカルに規則正しくとる。ライフ、マネージメントも必要である。脳から成長ホルモンが出て、筋肉を再生させる筋肉づくりのメカニズムで、肝臓のミトコンドリアでタンパク質を作るので、トレーニング後30分以内に食事をとる。ケガの予防、回復にはウエイト・トレーニングを寝る前に補助運動としてするのが重要である。またマラソンなどの競技ではタイミングよく血中乳酸を上げないためにクエン酸類(果
糖)などを取ることが重要である。
日本のプロ・アマスポーツ界の体質が円谷幸吉的イメージが強いが、それが日本人の心の中に脈々と流れている武士道の精神だと思う。私も武士道の精神は好きだが、全部が全部そこまで流される事はなく、不合理的トレーニング(寒中稽古や修行)&合理的トレーニング(科学的)を考察して自分で判断して、専門種目のスポーツに対する個人の人生観(スポーツに対する姿勢)を土台に+精神力+体力+技術+戦術が必要である。日本的指導法(日本の文化風土で育った)と欧米式指導法(欧米の文化風土で育った)をプラスしたコーチ法が目指すべきプロレス・コーチ像である。
またプロレスは「ファンと共に存在し、共に歩み、共に成長」してきたジャンルであり、まだ社会的にスポーツとして認められていない存在である。プロレスファンがファンであることの喜びを感じ、プロレスラーがレスラーであることの喜びを感じる事が出来る世界それが、全日本プロレスの理想のプロレスである。
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