第5節  鶴田友美のスポーツ観、レスリング観、オリンピック観

私がオリンピックに出場できる可能性が出てから、日本レスリングの歴史やオリンピックの歴史にとても関心を抱くようになった。それをざっとレビューしたい。
1924年第8回パリ・オリンピックで初めて日本から参加した、講道館2段でアメリカ、ペンシルベニア州立大学に留学中の大学の主将学生ナンバーワン「タイガー内藤」であった。時の駐米大使が日本体育協会へ手紙を送り、内藤さんは日本代表のオリンピック選手になったが、船で大西洋を渡るとき指を痛め、優勝を逃してしまった。それでも3位 に入った。このとき参加した水陸の日本選手団で、ただ一つの入賞だった。これは日本オリンピック史に輝く記録である。
1928年アムステルダム・オリンピックでは柔道5段の新免選手が参加したが失格してしまった。柔道とレスリングは同族異質のものであると認識したようだ。
1929年早稲田大学柔道部がアメリカ遠征してレスリングに負けたことで大学にレスリング部が創設され、八田一郎氏が会長になった。
1932年のロサンゼルス・オリンピックには八田選手ら6人がフリーとグレコに出場したが4位 入賞が最高だった。
1936年ベルリン・オリンピックではレスリング技術を専門的に学び、風間、水谷選手らが活躍した。
1952年のヘルシンキ・オリンピックで16年ぶりに参加した日本代表団のただ一つの金メダルがレスリングの石井庄八選手であった。銀メダルには北野選手、また5人全員が入賞した。
1956年メルボルン五輪の金メダリストは2人で、池田、笹原選手は「マタサキという技で世界に笹原時代」を築いた。私は1972年のときはコーチとして指導してもらい、話しもよく伺った。五輪合宿中の私の、失敗談として、笹原コーチの話し中に練習の疲れから「あくび」をしてしまい、大目玉 をくらった苦い思い出がある。現在は日本アマレス協会会長である。 1960年のローマ・オリンピックは惨敗、選手、役員まで丸坊主になって帰国し再建を誓った。ローマ大会では東西ドイツはドイツ統一国家として出て、ベートーベンの「喜びの歌」を吹奏した。
1964年東京オリンピックは5個の金メダル、フリーでは吉田光雄、上武洋二郎、渡辺長武、グレコでは花原勤、市口政光選手で、とくにレスリングの渡辺選手は「アニマル」といわれ、すごい連勝記録を伸ばしまけしらずであり、絶対金メダル間違いなしで、力の差が飛び抜けていた。だが本人は相当なプレッシャーがあったと後に語っている。私が中学時代はマンガの主人公で大人気があった。
世界の選手で思い出深い選手は100mのボブ・ヘイズ選手である。彼はオリンピックの標語である、「より高く、より速く、より強く」の世界一速い100mの金メダリストで黒人であった。彼の身体は古代ギリシア時代の芸術美を持ち、走り方に美しさがあった。筋肉質のプロレスラーのような風貌が印象的であった。その後、プロフットボールに行き、走り専門で活躍したが、オリンピックの時が華であったと思う。
体操のチャスラフスカ選手は「オリンピックの華」といわれ、その美貌と女性的な演技が私の心を捉えた。美学で言うところの自然美、身体美、技術美の「前景」の美しさと、芸術美、人格美の「後景」の美しさが印象的であった。彼女はチェコスロバキアの共産国で、ソ連からの政治的圧力に対する人間性がにじみ出ていて、その演技に感動した。
1968年のメキシコ・オリンピックの時は、ソ連がチェコスロバキアに侵攻したのでチャスラフスカ選手は一躍、時の人になった。
1976年モントリオール・オリンピックになると、ルーマニアのコマネチが出てきて、技術美にウエートがかかり、少女化して、芸術美、人格美が後退したように思う。私は古代ギリシアを参考にすると、レスリング&プロレスは二人で作る芸術美であり、格闘技であると言っても良いと思う。レスリングは相手と作る価値(内容のある勝ち負け)と観客にその価値、美を享受してもらう二つの世界から成り立っている。体操の場合は個人競技であるが本質は同じではないかと思う。しかし今日のレスリングも体操も技術に偏り、美的価値が失われているように思う。同じ事は柔道についてもいえる。柔道も本来は内容プロセスを大事にしていたが、体重制、ポイント制になり、内容よりも結果 に評価基準が移ってしまい、プロセスの魅力を失ってしまった。私は内容があるということが芸術美と関わっているのだと思う。芸術というのは創作する人とそれを楽しむ人の相互関係で成り立っている。ところが、いつの間にか、スポーツの種目が勝利主義、結果 主義になって、その内容の素晴らしさを享受する側をいつの間にか喪失してしまった。武術からスポーツになり、「有効」「技あり」など、だんだん細分化され、「旗」の決定などになり感動しなくなり、プレイが単なる作業になってしまい、見ている人を魅了しなくなってしまった。こういう問題を私は考えたいと思っている。現在のアマレスのあり方を今度はコーチ学、芸術文化の視点から見ると、どういうことが問題になるのか。例えば、
1番目は、階級制、ポイント制になり結果主義になりプレイに内容のある試合がなくなってきていることである。
2番目はグレコローマンと言うけれども、古代ギリシア・レスリングと現代のグレコローマン・レスリングでは大きな違いがあることである。
3番目はむしろプロレスリングの方が古代ギリシア・レスリングに近いのではないかという仮説である。プロレスと古代ギリシアのレスリングは観客を満足させるプレイに内容のある攻防をしなければ、観客は満足し感動しない。
1つ目は楽しさ。
2つ目は高度の技術。
3つ目は2人で作っていく身体の美学。
4つ目はレスリングに対する人生観である。
美学概念を下敷きにして見ると、プロレスリングにおけるプロレスラー自身の身体の美しさこれを自然美、次にそのプロレスラーが身に付けた技術の美しさこれを技術美、この2つを「前景」と言う。その次が芸術美アーチストたちが彫刻にそのスタイルを残したいと思うような芸術美、さらにもう1つ進むと人格美、その人間の人格を美しさとして捉える、この芸術美、人格美を「後景」と言う。アマレスリングよりもプロレスリングの方がこの「前景」「後景」をむしろ大切にしていると思う。観客が闘っているレスラーに自分を重ねて見る、選手の気持ちになり自分が闘っているように感ずる。それがプレイの内容を構成する。ところがアマレスリングの方が階級制、ポイント制になってプレイに内容のある試合を失っている。やはりこれは見直すべきではないかと思う。テニスやサッカーがプロとアマとの交流によってプレイ内容を取り戻して来ている。そういう面 でスポーツのプロ化は非常に大切なことを提起しているのではないか。日本ではレスリング競技はオリンピックの年だけ金メダルが取れるので注目されているが、メジャーなスポーツではなくなった。アジアでは、韓国、モンゴル、中国が注目を集めている。世界で国技にしているようなトルコ、ブルガリアでは注目度は日本の相撲に似ている。 それらの国ではそれは内容を失ってない試合をしているからメジャーなのか。またオリンピックに向けて特別 の能力を身につけさせているのか。それは国技として伝統のある、内容のある試合をしているし、国もそのスポーツを物心両面 で保護しているからである。しかし、内容プラス結果もついて来ないとコーチ、監督、選手は英雄にはなれない。日本で言うと大関、横綱にはなれない。アメリカ、イギリスの場合は大学に残って講師、助教授、教授、監督になることが多い。アメリカの場合は陸上競技などと同等のクラスで評価されている。
今一番高く評価されている選手は1996年アトランタ・オリンピックのアレキサンドル・カレリン(ロシア)はグレコローマン・スタイル130kg以上級、190cm、130kg、28歳である。資料18.A) 特技は「リバース・ボディ・リフト」でニック・ネームが「シベリアの白熊」または「怪物」である。ソウル、バルセロナ、アトランタ五輪の金メダリストで過去9年間無敵の王者である。今世紀最強のスポーツマンで、初めて会った人は、みんな彼の身体の大きさに注目する。氷点下80度の極寒地シベリアに生まれ育ち、生まれた時の体重が7kgあった。越までのゆきに埋もれながら、1時間のランニングをする。夏には丸太をかついで走ったり、湖でボートを5時間漕ぎ続ける。自然を相手に鍛えられた驚異的な体力の前には、プレッシャーもメンタル面 の強化も無縁である。
ビチスラフ・ミロスコ(ロシア)コーチは「彼は身体の大きさと強靱なイメージはロシア人の誇りです」と言っている。マイク・ホーク元米国選手コーチは「カレリンは世界で第1級のアスリートになるための条件を全て兼ね備えている」と述べている。筋力、瞬発力、テクニック、持久力、それに精神的にもめっぽう強い。大体あれくらい身体か大きいと、なにかしら問題があるはずである。彼ほど恵まれた身体を持っている選手は他にはいない。リバース・ボディ・リフトはヘビー級クラスである。軽いクラスの試合ではよく見かけるが、重量 級ではだれもできなかった。130kg以上の人間を持ち上げるだけの腕力なんてないからだ。それは体重が重いだけ危険も大きく、衝撃で選手が大けがをすることも少なくない。
マット・ガリアリー(アメリカ)選手は次のように彼を評価している。カレリンが相手の時、まともに闘っている選手など見たことがない。みんな試合開始30秒もすれば、マットの上にはいつくばってしまう。カレリンはリバース・ボディ・リフトが決まり、観客の声援を聞くと精神が高まり、まるで身体の中で竜巻が起こったようになる。それができるだけにファンの期待通 りの勝ち方をしたいと思っている。あの技を達成した時の満足感はやっぱり大きい。彼は想像を絶するラフ・ファイターで、彼がバスケットをやると格闘技になってしまう。リバース・ボディ・リフトを初めて公式戦で使ったのは、1987年の相手は同じロシアの先輩でレスリング界のトップにいた男だった。「彼を乗り越えようと技の開発に取り組んでいた。彼を投げ飛ばし、悲鳴を聞いたとき、達成感と充実感で身体が身震いした」カレリンの顔が変わる時は子供たちにレスリングを教える時であり、大きな試合の後やどんなに疲れていても彼は必ず実行する。彼は「レスリングは単なる取っ組み合いのケンカではない。精神と肉体で相手に勝った時、初めて勝てる。」と述べている。
私は彼が精神と肉体を最高に調整をしていると言う所で、もう相手に脅威を与え、精神的に戦いに勝っているのだと思う。 もうひとり、魅力的な選手をあげたい。それは1996年アトランタ・オリンピックのアメリカ選手団旗手を務めた、ソルース・バウムガードナーである。フリー・スタイル130kg以上級、185cm、130kg、36歳。ロサンゼルスで金メダル、ソウルで銀メダル、バルセロナで金メダル、アトランタで銅メダルをとった。彼にとってオリンピックは最高の場所で、勝つことは最高の栄誉なのである。みんなが彼のことを年齢からダメだったと言わせないように務めている。年齢からくる衰えは隠せない。若い時よりも、筋力、持久力が落ちて、調整力が必要になる。こうした身体的、精神的ハンディ・キャップを前年のアトランタ・レスリング世界選手権で優勝して打ち消したのである。その彼も15年間の選手生活の終わりが近づいて来ている。プロ・バスケットと反対のアマチュア精神が彼には健在である。彼はペンシルベニア州の小さな大学のヘッド・コーチとして財政、運営、経営を任せられている。彼は「自分の生活の中でレスリングは重要な位 置を占めているが、レスリングは楽しくやっている」と述べている。彼は試合の時はベストを尽くして頑張る。オリンピック委員会やレスリング協会からのわずかなお金のためにやっているのではない。有名になりたくてやっているのでもない。もちろん、だいがくのチームやクリニックで講演する時は多少お金は貰うが、基本はレスリングが好きだからやっている。試合をするのも楽しいし、ウエイト・トレーニングも、調整も楽しんでやっている。心からレスリングを楽しんでいる。レスリングが家庭や仕事、彼自身に負担がかかるようになったら、やめるであろう。記録やメダルやトロフィは関係がない。好きだからやっている。そのことをなかなか、みんなに理解してもらえない。記録やお金のことばかり問題にしている。彼にとって「楽しいからレスリングをする」それだけなのである。
私は「精神と身体のバランスのとれた」人間形成が大切で、ソルース・バウムガードナー選手のような考え方が、これからの世代のオリンピック選手には最も重要だと思う。そうすれば、お金やプロアマやドーピングなど、もろもろの問題は解決されるのである。(鶴田)
1894年フランスのピエール・ド・クーベルタンの発議によって設立された「国際オリンピック委員会」は以後、オリンピアに範をとり人類の平和的発展とスポーツの普及を核として運動を展開してきた。クーベルタンには、ギリシアの運動競技に範をおくスポーツ活動により、教育制度を改革し、社会教育をすすめていこうという意図があった。クーベルタンは、自由、道徳、人格、愛国心、公共の福利など人格の淘治に重点をおいたイギリスのパブリック・スクールでの教育に深い関心を持ち、その中でスポーツが重要な働きをしていることに注目した。またオリンピック大会を総合的で高尚な文化の祭典にしたいと考えた。スポーツに関する建築、文化、音楽、絵画、彫刻、写 真、切手、ポスター、演劇、バレエ、オペラ、オーケストラなど、芸術をプログラムに組み込んだのである。(1912年の第5回ストックホルム大会から芸術競技として加えられ、1956年第16回メルボルン大会以降、芸術展示となっている)。
1938年のヴェネチア映画祭で金賞を受賞したレニ・フェンシュタールによるベルリン大会の「オリンピア」や、市川昆による「東京オリンピック」は、人間の肉体と精神との緊張を表現している芸術作品である。額から流れる汗、遠くを見つめる目、一瞬電気が走ったかのように筋肉が緊張し、飛び出して行く肉体を、カメラアングルと物語構成で、最高に映像化している。 競技場も芸術である。
1928年第9回アムステルダム大会(ジャン・ウイルス設計)
1936年第11回ベルリン大会(ベルナー・マルビ設計)
1964年第18回東京大会(丹下健三設計)など20世紀の代表的建築として世界の注目を浴びた。
1984年第23回ロサンゼルス大会のギリシア風建築の競技場での聖火の点火や、花火の大ページェントは記憶に新しい。時間を止め、新たなる祝祭空間を創造する舞台として最も注目されている。
しかし芸術的に評価される競技場や映画は莫大な資金と国家の威信をかけて作られるため多くの問題が生じる。 1936年第11回ベルリン大会でアテネからの聖火リレーが始まった。最終走者を待つナチス党旗の10万人の競技場、飛行船ヒンデンブルグ号と、リヒャット・シュトラウス指揮のオーケストラ。開会式の演出は、ナチスドイツの「文化的な業績と実力」を示す宣伝材料となった。
1972年第20回ミュンヘン大会はアラブゲリラがイスラエル選手団を襲撃する事件が起き、私も出場した大会が武力対決の舞台となってしまった。
1980年モスクワ大会はソ連のアフガニスタン侵攻に抗議し、西側諸国がボイコットした。その報復として東側が参加を拒否した。
1984年ロサンゼルス大会は、オリンピック大会が政治の駆け引きの手段となったことを示している。
1988年ソウル大会では、ベン・ジョンソンがドーピング(禁止薬物使用)で金メダルを剥奪された。「寿命は5年縮んでも金メダルをとりたい」と願う選手も多い。オリンピックで金メダルをとることによって、その後の人生に名誉とお金が保証されるからである。
またテレビ局からの収入が主要財源になっているオリンピック委員会は、プロスポーツ選手を参加させて最高・最大のスポーツのプレイ価値、メディア・バリューを創り出そうと努力するようになった。こうした変化の中で、実際に競技を行う選手たちとその価値を享受する人たちのスポーツの本質的価値を確率することが、今最も重要である。人類は古代オリンピックに関心を寄せ、それを近代に再現し、これからもオリンピックへの関心を寄せ続けるであろう。 1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会、さまざまな問題が起こる中で、国家を超えた民族の祭典として人類の期待を集めてきた。オリンピックは単なる競技会ではなく、あらゆる文化交流手段を集大成したグレート・スペクタルである。メディアの発達のおかげで、地球のどこでも競技者の人生、選手村での生活、競技場のドラマ、素晴らしい競技や厳粛なセレモニー、といったさまざまな場面 を見ることができる。
しかしこうしたトレンドの中でレスリングに関してはアマレスとプロレスの交流はまだ本格的にはなされていない。例外として全米王者のジャック・ブリスコ選手がいるくらいである。まだアマレスはプロレスをエンターティメント・スポーツとして捉えている。エンターティメント・スポーツとしてのプロレスを、芸術・文化としてのスポーツにいかにすれば高めることができるか。私はプロレスの世界に入り、エンターティメントとしてのプロレスを、その側面 を残しながら芸術・文化としてのスポーツとして高めて行きたいと思っている。アメリカのプロレス世界の悪い点は、自分が過去に行ってきたプロ&アマスポーツのネーム・バリューを利用して、そのスポーツのピークが過ぎてから(年齢的または怪我のため)プロレスの世界に入って来ることである。プロレスには全盛期を過ぎた選手がプレーする場と言うイメージがある。アメリカのプロレス世界の良い点はハルク・ホーガン、ミル・マスカラス選手みたいに、子供たちにファンタジーの世界、夢を与えていることである。映画スター、テレビスターとして使われている。日本のタイガー・マスクみたいな漫画の世界で人々に愛と夢を与えている。プロレスのNWA王者ルー・テーズは社会的評価が高かったが、その後の王者のキニスキー、D・F・ジュニアなどは社会的評価が低かった。日本でも王者、力道山は社会的評価が高かったが、その後はだんだん社会的評価が低くなり、現在ではプロレス・マニアしか名前を知らない世界になってしまった。原因はテレビの放映時間帯にも因るが、テレビにしてみれば視聴率がとれないから放送しない。それは世間の関心が高くないからである。一般 的にみると発展途上国では国を強くしなければならず、そういう環境では格闘技の人気は高いが、国が経済的に豊かになり先進産業国になると、スーパー・スターが出やすい種目に人気が移ってしまうのではないかと思う。柔道、剣道、レスリングなど格闘技の求道的精神を受け入れにくく、現代人はカッコ良く、スマートなスポーツ、サッカー、野球、ゴルフに関心が移り、また競技人口も増加し、格闘技はだんだん人気が無くなってきているように思う。
ところが古代ギリシア時代ではレスリングの競技人口は男子なら全員がそうであった。哲学者プラトンが青年時代アリストンという名前で、レスリングを学び、肩幅の広さから「プラトン」と名付けられた事は、ギリシア人のレスリング競技の愛好を示している。 現代ではその背景がまったくない。柔道、剣道も同じである。その社会のプレイ人口が多いと言うことはいかに大切なことか。またテレビなどの影響や、両親のスポーツ歴&教育などで、親は子供たちに夢あるスポーツを動機づけたいと思っている。その時代によりスポーツの栄華衰退があるが、今日のレスリングには観客が観ての楽しさ、面 白さがない。ようするにプレイに内容のある試合ができなくなってきた。しかしプロボクシングの世界王者は今日も社会的評価が高い。しかし実際に私が聞いてみたが、日本王者、東洋王者では経済的自立が難しいようだ。世界王者になれば経済的自立はできるが、3度防衛しないと自分のプロモート権にならない。しかし競技期間は短く、その後はタレントかジムトレーナ&経営者になるしかない。また、「ロッキー」の映画のようにアメリカの人種問題でイタリア人の社会的評価の高くないボクサーがいかにアメリカン・ドリームを掴んで行くのか、その過程と夫婦愛を描いたストーリー、またその後の「ロッキー」はアポロとの友情やアメリカ対ソ連の対決で国を意識させながら最後は「プレイに内容のある試合」で国を超えた友情、人間愛を描いている。
習志野高校3年生の時メキシコ五輪に出た磯貝頼秀選手は、ミュンヘン五輪の時は早稲田大4年生であった。今は早稲田大学レスリング部監督をしている。私は彼と決勝戦を迎えたが、組み合った瞬間に手が震えているのがわかった。相手の顔を見たら真っ青だった。もちろん自分もアガっているが、相手も一緒だなと思った。結局は引き分けで終わった。コーチが話し合いをしてフリーとグレコに分かれて出たが、その試合にはなんとも言えない雰囲気があった。終わったあと握手して「終わったね」と言ったことを覚えている。彼は高校3年でメキシコ・オリンピックに出て、大学4年でミュンヘン・オリンピックにも出た。しかしこの間大きなプレッシャーがあったのだろう。彼は高校3年でメキシコ・オリンピックに出たが、中学時代にはどのようなスポーツをやっていたのであろうか。そこで彼にインタビューをしてみた。

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