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第8節 まとめ
ギリシアのペロポネソス半島。アテネから370キロ、車で5時間の所にある、オリーブやオレンジ、レモンの実る豊かな土地がオリンピアである。守護神ゼウスを祭る神殿を中心としたこの聖域で紀元前776年に始まったオリンピアの祭典は最初は競技よりもゼウス神、アテナ女神のための祈祷や祝宴が重要な意味をもち、宗教的儀礼の後に競技は開始された。
1. 競馬や四頭立ての馬車による競技。
2. ペンタトウロン(五種競技)=スタディオン走、走り幅跳び、円盤投げ、槍投げ、レスリング。
3. ランニング=192.27メートルを走るスタディオン走、それを往復するディアウロス、そして12往復する長距離ドリスコの3種目。
4. レスリング=よく掘り返された砂の上で、全身にオリーブ油を塗って行なわれる。
5. ボクシング=柔らかい革ひもを手に巻いて相手が負けを認めるまで休みなく続けられる。
6. パンクラティオン=禁止されているのは「かみつくこと」と「えぐること」で、全裸の肉体でできるあらゆる攻撃が許される。相手が負けるまで、続く壮絶な格闘技。
7. 武装競走=かぶと、すね当て、盾を身に着けて走る。 ギリシア人最大の美徳は、ランニングが速いことだった。また神に捧げるための勝者の像や詩や音楽など芸術作品も競われ、展示された。ギリシアの遺跡からこれらが造られた時点では競技に信仰的な意味はなく、その意味では今日の競技場の原型だった。
ランニングコースは直線だったので、幅25メートル、長さ約200メートルの長方形だった。メイン競技だったため、多くの観覧席があり、今日のスタジアムの原型である。
ギムナジウム(中学・高校)はレスリング、陸上競技、集団ゲームの平地、また水泳場や大浴場の設備が儲けられた。古代ギリシア人がトータルな教養を高めるカルチャーセンターでもあり、午前中に生業の仕事をし、午後はここに来て仕事をしながら芸術を語り、政治を論ずる場であったのである。
パライストラ(総合体育館)はもともとレスリング場を意味したが、正方形の柱廊からなる中庭は砂で覆われ、幅跳び、レスリング、ボクシングの練習場である。柱廊には、応接室や宿泊施設、教室、更衣室、浴室、塗油室、マッサージ室、ボールゲーム室、トレーニング室などが設けられていた。施設の整備が進むほど、競技の精神は墜落した。オリンピアの祭典は、選手のプロ化や八百長試合、そして誤審、収賄、追放などにより、紀元前2世紀ごろからその威光は失われていった。
結果的にはキリスト教との対立から、紀元393年、第293回の大会をもって幕を閉じたオリンピア祭であった。
終わりに、スポーツの本質的価値とは脱産業化社会における人々は人間らしく生きたい、存在感のある人間になりたい、自己本来の人生を送りたいという「存在一自己開発」のハビタス・メンタリスに動機づけられるであろう。自然の価値、文化の価値を楽しみながら、自己開発を図るホリスティック・ライフにむかって行くものと考えられる。
モルチマー・J・アドラーのアリストテレス理解によれば、デザイアはニーズとウォンツに分かれる。ニーズは先天的欲望で、ウォンツは後天的欲望である。しかし、後天的欲望は欲しいと思う時だけよく見え、あとになって後悔する場合もある。したがって、先天的欲望に裏付けられた後天的欲望の充足がなによりも重要である。人間の先天的欲望をいかにとらえるべきなのか。
人間の先天的欲望には2つの課題がある。
1. 生きること(生物的欲望)しかし、今日の人工的な都市生活環境のもとでは、過食、運動不足、ストレスが慢性化し、生物的健康を損ねている人が多い。そこで、健康な食習慣、健康な運動習慣、健康な休養習慣、つまり健康な生活習慣に気づかせ、それを和らげるための技術や方法を身につけさせ、生活化、習慣化させる。
2. よりよく生きること(幸福、人間的欲望)人間であるための3つ次元「美、善、真」に対する欲望が最も人間にとって大切である。この欲望の充足のプロセスが幸福の追求である。トマス・ジェファソンの「生命、自由、幸福の追求」が基本的人権と言う考え方は、アリストテレスの考え方に従ったものと、アドラーはとらえている。
今日の社会で一般には、幸福の概念は一般化できず、個人によって異なると思うが、時代、社会、民族を超えて、何人にも共通
する幸福概念と追求方法があるとアドラーはとらえている。それは生物的ニーズと人間的ニーズに即して生きることである。
心理学者エーリッヒ・フロムは「産業化社会の限りなき進歩の大いなる約束は、いまや、挫折しかかっている。新たなる選択のためには、財産、地位
、権威の所有価値(to be)の追求へ向かうべきである」と言っている。こういう社会のあり方、生き方の基本にまで立ち戻ってスポーツの問題も検討しなければならないであろう。
脱産業化社会においてはワーク人生に人生80年が従属することではなく、人間的な生き方が求められなければならない。
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