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第5節 現代レスリングが古代レスリングから学ぶべきこと
シンプルな「力くらべ」に飽き足らなくなった人間は、技術やスピード、そして持久力を比べたくなり、人間の身体機能の総合力を試す方法として格闘技を考案したらしい。子犬や子猫が互いにじゃれるようにその遊戯をスポーツ化させたのが格闘技の誕生であった。「占い」をともなう儀式の1つとして、多くの民族の間で昔から作り上げてきた厳粛な身体文化こそが格闘技である。
男が自信と勇気を賭けて、技を競い、力を競い、持久力を競う醍醐味。それが古代から現代まで続くスポーツのルールである。その人種・民族に密着した宗教の中で、「鎮魂儀礼」「服従儀礼」「葬祭儀礼」「豊穣儀礼」といった多義性をもち、神聖な行事として扱われた。例として日本の相撲、朝鮮半島の朝鮮相撲、モンゴルの蒙古相撲などがある。
また格闘技を大別すれば、1つは、相手にダメージを与えないもので、もう1つは、武術性に富み、ダメージを与えるものである。後者の格闘技は比較的新しく、文化が発達した後のもので、最初は遊戯性の強いものであったと考えられる。格闘技は人間のもつ野蛮性を発揮させる身体活動ではなく、宗教性の濃いルールを持つスポーツ的なものであった。そこに複雑な要因があり、神聖視された一因があると思う。
レスリングは、エジプトのベニ・ハッサンにある中王国時代のケティ王子の墓(紀元前2050年ごろ)に描かれたレスリング図をよく観察すると、殴打技、蹴り技、関節技などがないことから、ルールに従って格闘していたことがわかり、すでにスポーツとしての様式が閑静していたことも解る。エジプトでは、第五王朝(紀元前2463〜2322年)のビジェル・プターホテップの墓から見つかった。6組の少年レスラーのレスリングのレリーフが最古のものと思われるが、すでに競技としての性格をもち、卓越した技術展開を読み取ることができる。しかもレスラー達は、理想的な美しい身体をもち、熟練していた様子が解る。ベニ・ハッサンの墳墓群は、王子や高級官僚のものだが、そこには約400の鮮やかなレスリングの絵が所狭しと残されている。それを見ることで、葬祭儀礼、服属儀礼としての古典レスリングを堪能できる。
レスリングを寝技のある格闘技、寝技のない格闘技を相撲だとすれば、考古学的な面
から見る限り、レスリングのほうが古いかもしれない。この古代エジプト式のレスリングと酷似するのは、ギリシアのレスリングである。ただギリシアでは、レスラー達は全身にオリーブ油を塗ってレスリングをするため泥まみれになった。
ギリシア人は神々を擬人化させ、人間のもつ能力をその神々に与えた。調和のとれた美しい身体と、人間ではいかに努力してもなりえない神々に、いかにして近づくか。この主題こそが信仰であり、そのために人間は精神活動の1つとしてスポーツや格闘技に興じた。ギリシア遺跡を発掘すると、必ず「ヘラ」が出土する。ヘラはオリーブ油を塗ったレスラー達の身体に付いた泥を採る道具であった。ギリシア人達の間で、いかに盛んにレスリングが競技されていたかを示す一例である。レスリング、ボクシングまた過酷な攻撃もあるパンクラティオンといった格闘技があった。しかし神聖な競技から野蛮性のある「見せ物」的な競技に転じていった。ギリシア風文化が香る地域では、体育館や競走路などのスポーツ施設が築造された背景には宗教的側面
と娯楽的側面の両面があったと思う。
古代オリンピックは、もとはゼウスの神を奉る「葬祭競技会」であり、神々に捧げるものでスポーツ施設は宗教行事のための施設であったと思う。しかし、ギリシアの格闘技はローマ人には、卑猥な競技と捉えたらしい。ギリシア人には格闘技やその他の競技が、鍛錬された身体の「美」と捉え、最高の身体文化で、しかも宗教性も持っていた。ローマ人は裸になることを「美」と捉えなかった。実用主義を理想として捉え、ギリシア人の持つ美的精神とソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの哲学的思考を受け伝えようとしなかった。ギリシア人のほぼ全員が行なっていた格闘技は、ローマ人には戦争に役立たない非実用的なものであったと思う。そのため、奴隷の剣闘士と猛獣を闘わせることや、剣闘士と剣闘士の殺し合いの試合が人気があった。剣闘士試合は政治家が主催して、自分の人気・支持を得るための手段になったのと、ローマ人を残酷・残忍さに慣れさせる政策としての価値もあったと思う。あのコンスタンティヌスの凱旋門の近くにあるコロセウムは、政治家たちの権力を象徴していたのである。5万人を収容できる円形競技場を建てたのは、ギリシアの宗教的・哲学的・娯楽的な競技場に対し、まさに政治的だったのである。コロセウムの完成はティトウスがローマ皇帝のときで、紀元後80年である。異彩
なエトルリア文化の1つに、悪霊を和らげるために、2人の犠牲者を人身御供に捧げるための決闘をする習慣があった。ローマ人はこの野蛮性のあるエトルリア人の生活様式を導入し、それを「見せ物」として開花させたのである。
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