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第4節 鶴田友美のトンプソン論文に関する考察 1.「プロレスの八百長試合」は存在するか。力道山時代は八百長と言う言葉で表現したが、現代プロレスはいろいろな団体の多様性があり、観客が勝負とエンターティメントの二つのバランスの取り方が団体によって違い、自分の好きな団体を見に行く時代である。それゆえ、八百長と言う言葉は適当でないと思う。ジャンルの違うスポーツと言う捉え方をしていると思う。そして団体によって八百長試合が存在する団体と、そうでない真剣勝負という団体がある。これは団体によってルールなど試合環境が違うためである。しかし、一般 のプロレス・ファンはどの団体もプロレスであり、そこのところが世間の偏見で見られる原因であると思う。プロレス界を一つの組織にするのは不可能に近い。プロレスが勝負と興行の二面 性を持っているからである。また試合も勝負とエンターティメントの二面性を持っているのである。 2.流血、場外乱闘、反則のインパクトは薄れている。これも団体ごとに違うし、流血、場外乱闘、反則で観客を呼ぼうと多くの団体は考えていない。 3.なぜ、力道山時代の研究をするのか。これはこの時代の方がいろいろな資料がそろっているからである。社会的現象だったので、NHK、日本テレビ、朝日、読売、毎日新聞などのマス・メディアに記録が残っている。現代葉一部のスポーツ新聞、雑誌とテレビの深夜番組で資料が少ないし、新聞記者によって記録が正確でない。 4.初期のプロレスに圧倒的人気があった。力道山と言うスーパースターと日本人の敗戦による国民的国威掲揚のためにプロレスが大いに役立った。またその結果 として、マス・メディアとしてのテレビの普及に大いに貢献した。 5.動物に擬せられた外人レスラーたち、この時代は、外人は人間と言うよりも怪物のイメージであった。日本人の敗戦による国民的国威掲揚のためにそれを叩きのめすのに最適だった。 6.アメリカン・プロレスのテーマは以外に多様である。アメリカは人種のるつぼである。民族間の闘争、ロッキーの映画に見られるようにアメリカの敵、などいろいろな多様性があり、だいたいが善玉 対悪玉の闘いである。 7.「日米対抗」の曲がり角−ビル・ロビンソン、ミル・マスカラスの登場1960年末(恐さよりカッコよさ)のプロレスの雰囲気は変わり始めた。アメリカ人対日本人の試合の構図が崩れ、外人も怪物の名前ではなく人間で、しかもカッコよくアイドル的で日本人以上に人気を博した。試合内容も技、中心になってきて、会場は子供、女子中学、高校生が観客になった。これには女子プロレスが盛んになったのも大いに影響している。
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