| 第5節 鶴田友美のプロスポーツとの比較分析
「1」 霧島関の場合
霧島関は中学時代まで相撲を見たことも、稽古もしたことがなかった。陸上、水泳、柔道の選手だった。また中学を卒業したらラグビーをやりたかったが、親方の説得に両親と自分も断れなくなって、しかたなく相撲の世界に入った。小学、中学時代の競技歴が役にたったのか。小学校時代から身体を鍛えるのが好きだった。学校まで7kmぐらいあり、山を三つぐらい越えて自転車でかよった。また鉄下駄
をはいたりして、身体を鍛えた。
相撲の世界でやっていける自信はあったのか。(鶴田)
中学卒から相撲の世界に入ったが自信はなく、すぐ逃げて帰りたかった。しかし4親が支えになり、恥をかかせたくなかった。
相撲に入ってなにをやっていたのか。またはそれをやっていたから強くなったと思うことはなにか。(鶴田)
相撲に入って1年間たってから、人と同じことをしていたら強くなれないとまず思った。身体が細かったので、朝3時に起きて、歩道橋を走ったりして部屋に戻り布団をかぶり寝て、みんなと同じ時間にまた起きて稽古をした。
身体を大きくするために特別なこと、食事とか、練習をどう行なったか。(鶴田)
相撲に入ってから引退するまで100kgになるまで10年近くかかった。遠藤光男トレーニング・ジムでウエイト・トレーニングを始めた。相撲で使う筋肉や栄養を勉強してプロテインを飲むことを進められ、最初はお金がないから水で溶かして飲み、だんだんいろんな材料を加えて(バナナ、ヨーグルト、蜂蜜、赤ちゃんの粉ミルク)1日4リットルぐらい飲んだ。筋肉質の現在の身体を作るために、非常に苦労した。そんな苦労をして、地位
も上にあがってきたので、汚い話ではあるが寝る前なんかでも、吐いて食べて、吐いて食べての繰り返しで、夜中食べたものが出てきて、2,3度目がさめ、そういう繰り返しであった。私は気持ちで相撲をとるタイプで、みんなが遊びに行っている時にトレーニングをしていた。もともと、身体を鍛えるのが好きだった。また人が遊んでいる時に、自分はトレーニングをやっているんだと思うようになって、自分自身に暗示をかけて、精神的に自信をつけた。
大関になった時、自分でもっと上をねらえると思ったが、それとも限界を感じていましたか。(鶴田)
この世界に入る人はみんな横綱をめざす。自分の場合は三段目が壁であった。それを乗り越えると幕下であった。幕下を乗り越えると、実力は上がり、今度は十両を狙った。次の場所は落ちたが、栄養とトレーニングのバランスをとって、1年ぐらいして十両に上がった。実力は上がり幕内になり、いろいろ波があったが、大関になる前に1勝14敗という場所があり、頑張らなければいけないと思った。優勝して横綱を狙えるかなと思ったが、今思えばその時の体調の持っていき方、まわりのパーティとかで、自分が舞い上がっっていた。それで、稽古がおろそかになり稽古をもっとやっておけば、と悔やまれる。
大関を落ちた時、心の支えとは、いったい何だったのか。いっぱいあるが、自分の家族、親、ファンの人達などが励みである。大関時代はあまり耳に入らなかったが、こんなに多くのファンが応援してくれていることが、大関を落ちてから1日、1日とわかってきた。これは頑張らなければならない。もう大関のプライドは自分自身にはなかった。私は相撲もうまくないし、私でもここまでこれたのだから、だれでも努力したらなれると思った。
相撲のハングリーは1、「名誉、地位、お金」のような経済的価値を追求するタイプと2、「自分自身の限界への挑戦」というマインドの二つがあると思うが、霧島関はどのへんから、変わってきたのか。辞めてわかるものなのか。(鶴田)
私には1、などはあまりなかった。自分の場合は落ちてから、自分の仕事は相撲しかない。何歳までとれるかとよく聞かれたが、とれるものだったら、死ぬ
までとりたい。この世界しかないから辞めることが不安であり、最後までとっていきたいと思った。
もう相撲を辞めようとか、精神的に「切れる」と言う、そういう状態と言うのは、どういう状態なのか。引退する時の霧島関をテレビで見て、その前場所と今場所では肉体的に変わらないが、どんなことで「切れる」のか。(鶴田)
集中力がなくなった時である。身体は今場所のほうがかえって調子がよかった。相撲は自分しかわからないが、「押されてここで、ふんばってのこらなければいけない」時に、おしりの方から力が入らなくなる。そういうのが、自分でわかってきてその積み重ねで、だんだん相撲1番、1番でわかってくる。しかし自分はもう「いいや」の気持ちにはならなかった。千秋楽前にスポーツ新聞に引退を書かれたが、自分の心のどこかにもう1回いい相撲をとって、がんばるぞと言う気持ちがあった。しかし千秋楽の相撲で力を出そうと思っても出ない、これでは落ちても再び勝てないと思った。
引退と言うと霧島関と小錦関がテレビで話題になるが、日本人と外人で、こと相撲に関して、どこまでもとり続けたいと思う気持ちは変わるものなのか。年齢に対する挑戦ではどうか。(鶴田)
小錦関は、日本人よりも相撲が好きである。頑張り屋で頭が下がる気持ちである。彼はもうだめだと言う時にも、言葉で助けてくれる。自分はすごく感謝しているし、ふつうの日本人よりも、ないものを持っている。私は外人とは思っていなかった。2人で40歳までとりたい。小錦が辞めるまで、私は辞めないぞと思っていた。むこうもそう言っていた。双方とも支えになっていた。
ここまで、相撲をとってきて人生そのものに満足しているか。またはもう少し、とりたかったか。また引退して1、自分が相撲が好きだから後進のしどうにあたりたい。2、相撲以外の他の社会でやりたいのどちらか。(鶴田)
辞めた人でも悔いはあると思う。私の場合は身体がついてゆかなくなった。辞めた人はみんな悔いがあると思う。引退後は、他の知らない社会は不安があるし、この社会を辞めてからわかってくることがたくさんある。こうすれば、もっとよかった。いいことも、悪いことも体験してきているので、それを若い人にうまく教えることができればよいと思っている。人に教える事はすごく難しいが、また魅力もある。
相撲はハングリー・スポーツだと思うが、経済的価値だけを望まず、自分自身に挑戦してゆく気持ちが大きいと霧島関は言っていたが、何でそう思うようになったか。(鶴田)
私の場合は、相撲に最初に入った動機が、親孝行をしてやりたいということであった。年齢とともに、今度は家族になった。地位
、名誉、お金は後からついてくるものであり、自分自身に対する挑戦が1番だった。
境川理事長は相撲の美学を持っているが、体力相撲だけでなく、土俵際でのこす、またそれを押し返す「内容のある相撲」をとらない観客から飽きられてしまうと言っているがどう思う。
(身体美、技術美が前景で最初は身体の美しさ、技の美しさから入ってくるが、年齢を重ねるとその人の人生観、相撲をとってきた歴史などを通
じで人格美、芸術美の後景で判断して相撲を見る)。(鶴田)
それはあると思う。自分は四つ相撲が少なくなり、力と力の出し合い、観客としたらすごく魅力に思うが、突き、押しの相撲が今大きい人が増えてきたので、なかなか出せなくなってきている。それを作って行くのが指導者の役割である。礼儀作法をしっかりする。部屋の師匠の影響であるが、美学の追及である。勝利至上主義であるか(スパルタ型)。勝利プラス人格の形成(アテネ型)であるか。ただ強くなりたいと思うのは、先代の親方からよく言われたが、相撲が強くなるだけではダメである。その人の人格からにじみ出てくるような美学が必要である。
筋力トレーニングでついた筋肉は相撲をとる時に役に立ったと思うか。それとも相撲で鍛えた筋肉と、どちらの方が役に立ったと思うか。ウエイト・トレーニンングをやっている人は今どんな人がいるか。週3回か、毎日やるか。(鶴田)
私は相撲だけの稽古(3時間)であったら、大関になっていなかったと思う。相撲の稽古をやって、その後にウエイト・トレーニング(1時間)をした。どちらかに偏ってはダメであるが、相撲が基本だから、相撲をやって突き、押し、四つ相撲の人はまわしを引き付けるためのトレーニング・メニューをこなす。武双山などほとんどの人がやっている。部屋にジムを持っている所もある。自分は毎日行なって、上半身、下半身と部分的にする。しかし相撲だけの人もいる(ダンベルくらいで)。私はこれからは、ウエイト・トレーニングは必要であると思う。ウエイト・トレーニングがなかったら、大関まではなれなかったと思うし、身体が変わってくるのがわかり、大きくなって心理的に自身も出てきたし、怪我の予防、回復が早くなり自分では非常に役に立った。
これからも相撲取りには、その人の相撲スタイル、体格によっても違うが、どういうトレーニングが必要だと思うか。それはまたバルク・アップ・トレーニング(重い物)か、パワー・アップ・トレーニング(軽い物)なのか。(鶴田)
その日の疲れ方に応じて行なうが、だいたい重い物が多かった。横綱になるためには経済的よりも、自分自身の限界に挑戦するマインドが大切だと思う。それがよい意味の価値ハングリー精神を育てていくのだと思う。もちろん栄養と休養とトレーニングのバランスを考えて稽古に励むことも大切であり、もともと私は身体を鍛えることが好きで、常に人の2倍ぐらい稽古をして苦労しながら、親、家族のためにがんばり、またそれを持続してきた。
真面目な努力型の名大関であると思った。(鶴田)
「2」 小錦関の場合
小錦関は相撲取りになりたくて日本に来たのか。次に学生時代にやっていたスポーツが相撲に役立っていると思うか。(鶴田)
師匠である高見山関のスカウトできた。小学校、中学校は相撲を見たことも、取ったこともなかった。しかし高見山関のことは知っていた。私は高校時代フットボールとパワー・リフティングをやっていて、高校卒業して2ヶ月後に相撲に入った。フット・ボールとパワー・リフティングとも力がつく競技だった。フット・ボールは立会いの出足に役立った。相撲と足のスタンスが少し違うけれども問題はなかった。
小錦関が長く取り続けている精神はどこからきているのか。(鶴田)
やっぱり両親の育て方で、僕たち9人家族を一生懸命育て、我慢することを習った。自分のためでなく、親のために一生懸命頑張った。
経済的価値、名誉、を目指して相撲界に入門し上にあがってきたのか。それとも自分自身への挑戦で自分が強くなりたいために入門し上にあがってきたのか。又は好きで一生懸命やってきたのか、それとも両方なのか。(鶴田)
自己への挑戦である。今は出来ることしかしないが、できるまで取り続けたい。相撲は引退したら2度と戻れない厳しい世界だから、自分が満足するまで取り続けたい。歳をとって身体を痛めてからは、頭の中と、心の中では勝つことを意識し、私にとって負けは関係ない。自分の相撲は取れるかどうかが問題である。相撲に勝っても長い目で見れば自分の相撲が取れないと不安になる。
霧島関にインタビューしたが、小錦関のことが支えになったと言っている。小錦関は日本人以上に日本人だと、また小錦関に勇気づけられたと言っているが、小錦関はどう思っているか。(鶴田)
あんまり日本人、外人を意識していない。とにかく自分なりに一生懸命相撲を取っている。私より早く霧島関が大関を落ちてからカムバックしたので、1人ではないから楽に相撲を取れる自信ができた。霧島関がいたから頑張れた。いままで外人で1番最初に大関になり、いろんな壁があった。いままでの大関は落ちたら引退するのが当たり前で、いろんな神経を使った。霧島関がカムバックして一生懸命頑張っている姿を見て、私も最初は辞めるつもりであったが、霧島関が大きな心の支えになってくれたから私もやるようになった。
将来はどういう気持ちで親方になり弟子を育てるのか。(鶴田)
時代は10年前と違うから、すごく難しい仕事になってきている。がむしゃらに、教えることのできる弟子もいるが、身体は出来ても頭の中は何のためなのかその意味がわかっていない。身体よりも気持ちが大切である。自分のためにやり、自分自身が強くなれば喜びも生まれ、またそれが周りの人々の喜びを与える。今の弟子はすぐに辞めてしまう。我慢することが無くなった。
相撲には日本の「伝統美」とか、「しきたり」が必要だと思うか。また日本に来た時の大変さというのはどうだったのか。(鶴田)
すごく大切だと思う。それが無くなったら日本の相撲ではない。「伝統美」があるから、日本の相撲がある。日本人はもっと伝統美を守る努力をしなければならない。日本とハワイは180度生活環境が違うので驚いた。東京は大都会なので、電車に乗ったり毎日が新しい発見であった。また相撲の世界では、先輩とか、日本の「しきたり」が大変だったが、自分自身に自信を持ってやることが重要であった。
私の時代の人々には小錦関が相撲を取っているだけで、勇気づけられる。また大関を落ちても一生懸命取っている姿は強く感動させる。その精神を知りたい。(鶴田)
相撲だけでなく、周りの人々の声援で頑張った。稽古も前みたいな稽古は出来ないし、できることだけやって今では自分の調整を大切にしている。気持ちが80%、身体20%で相撲を取っている。先場所は10勝5敗でいい成績だったが、腰の状態がよくなったからである。前は3〜4日でダメになったが、常に前向きに生きていく姿勢を変えないようにしている。先代の親方の教えがそうだった。「おまえ、そうやって小手先の相撲を取っていたら負けた方がいいよ」と言っていた。自分の相撲を取れない力士は自分自身に自信がないからである。自分の相撲を取った方がたとえ負けても自信が出てくる。相撲社会は弱くなるとだれも見向きもしなくなり、世間は冷たいなと思う時がある。でもこういう世界だから前向きに生きる事が大切なのだと思う。
小錦関の全盛時代、大関時代、大関を離れた時代、いろんな時代を知っており、「身体美」「技術美」の「前景」から「芸術美」「人格美」の「後景」までを見て相撲を観戦している。小錦関にとって相撲とは何なのか。(鶴田)
私の人生で、いろんなことがあったがいい方向に変えてきた。怪我とかを別
にして、いろんな問題も起こしたが、流れの中全体では相撲界に入ってよかったと思っている。長く相撲を取ると怪我やスランプなどあるが、上にあがるほど負けたくないから辛いことはない。しかし上がるだけでなく、残ることも相撲の世界では大切である。辛いけど頑張れば、それ以上よいことがある。外国から来た力士は特に環境が違うから、最初の頃、外人、外人と言われたが、日本人の力士となにも変わらない。前相撲から取った力士だから同じである。また身体はなんとか薬とか医者で治せるけれど、心は治せない。心がダメになったからといって心臓を開けて治せない。自分しか治せない。
小錦関はどうして日本語がうまいのか。長く日本にいるからであると言っているが、ザ・デストロイヤーなどは、日本語を使えない。私は小錦関が頭がよいのと、日本の環境に溶け込む努力を欠かさなかったことと、相撲の世界で常に前向きに取り組んで来たことが大きいと思う。(鶴田)
貴の浪関、小さい時から相撲と柔道に関わってきたが相撲に役立ったことは何かありませんか。引き付ける力がついた。しかし相撲は押すのが基本ですので、柔道の引き付ける力は投げ技に有効であった。
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