はじめに

私自身が筑波大学体育研究科コーチ学専攻で「スポーツ産業論」「レジャー論」の授業を受け、レジャー とはなにか・自由学芸教育とはなにか、またそれはいかにあるべきかを学ぶことが出来た。それまでは、 体育がレジャー哲学・自由学芸教育にはいるということを、理論を立てて聞くことがなかった。中央大学 時代はアマレスでミュンヘン・オリンピックに出場して、卒業後は全日本プロレスでプロレスラーとして 競技生活をし、そして現在も全日本プロレスのコーチ役としてその分野の仕事の手伝いをしている。そこ でいつも体育系と文化系が分かれるという社会常識に擬問を抱いてきたが、レジャー哲学・自由学芸教育 はそのコンプレックスを解決してくれた。それでこの学問に関心を寄せるようになった。ここにかかれた 内容は、レジャー論、自由学芸論の広い世界を修学におき日本のスポーツ問題とレスリング問題について 私見を述べたものであるが、私としては、あえてこの種の問題には、学際的に様々な異なった見解が出た 方が健全であり、この論文を推敲して一般的な出版物にして広く世間に問いたいと考えている。この問題 には学際的な立場からアプローチした見解が多く提出され、議論の話を広めていただきたいと思う。

1996年1月  
鶴田友美

第1章 ジャンボ・鶴田の生活史とレスリングへの関わり

第1節 鶴田友美の誕生-出自に関する記述-

鶴田友美は昭和26年3月25日、山梨県東山梨郡牧丘町倉科1823番地で生まれた。未熟児すれすれ で、小さくて女の子みたいなので「友美」と名付けられた。資料1) 小さい頃はカゼなど直ぐひく小さな子供であった。小学校入学した4年生頃から体が大きくなった。この ころから近所のガキ大将として日の暮れるまで遊んだ。気は優しくて力持ちだったので決して、弱い者い じめはしなかった。勉強は歴史と体育が大好きだった。 母(鶴田常代)は樋口家8人兄弟の3女で慎重150cm、体重50kgの小さい体で農家の仕事と家事 を2人の子供を見ながら目の回る様な忙しさで働いていた。「男は約束を守らねばいかん」が口癖で宿題 を忘れよく怒られた。この言葉は今の自分の精神を支えている。 父(鶴田 林)は9人兄弟の長男で慎重179cm、体重90kgで会った。父は膵臓ガンで1972年 9月16日、私がミュンヘン・オリンピックから日本に帰った次の日の朝他界した。頑固で厳しくあると きは優しかった。友達と遊びたいために、宿題や羊の草刈りをサボると必ず大きな拳が飛んできた。軍隊 時代柔道で鍛え上げられた体は、大きくどんなにかかっていこうとも、ビクともしなかった。スポーツ好 きで、相撲でも野球でも何でも良いから日本一になれが口癖だった。自分のスポーツを愛する心はこの父 の血を受け継いだものである。ミュンヘン・オリンピックに選ばれたとき、父はまるで自分が選ばれたよ うに「良かった、良かった」と何度も繰り返して喜んでくれた。ミュンヘンに旅立つ日「結果 なんか気に するな、自分の力を信じて精一杯頑張ってこい。」と送り出してくれた。病室の枕元でラジオにしがみつ きながら、最後まで応援してくれていたという。病室のドアをあけた時、元気な頃のあの大きな体とはう って変わった、小さな体になっていた。「親父、今帰ったよ」と私が言うと、心なしか小さくうなずいた ような気がした。オリンピックから帰ってくるのを楽しみに待って、くれたのだろう。次の日の朝、父は 満足そうな笑顔を浮かべて息を引き取った。

第2節 幼・少年時代 ―山梨・牧丘町の山野での遊び―

小、中学のときの生活環境はどんな風であったか。学校が山の上にあり、毎日 走って畑の中を通学した。
それが牧丘町の運動会のための放課後の毎日の練習であった。学校からの帰り も畑の中を走って家路についた。このような中学の時の生活の中での身体作り、 スポーツとの関わりが、以後のレスリング人生に大きな影響があったと思う。 農家だったので、学校から帰ると家の手伝いの力仕事をしたり、稲や桑の葉を 背負い狭い道を歩いたりもした。自然環境の中で培った筋力、体力、身体であ る。今振り返って思うことはバーベルなどの施設、器具で鍛えるよりも、自然 環境を利用して生活の中で鍛える方が強くなるのではないかということである。 しかしそのころの私の運動能力の水準は山梨県レベルでなく牧丘町レベルであ った。走り高跳びで150cmで優勝、砲丸投げは、3位であった。東山梨郡レベ ルでは勝てなかった。身体能力で負けたのではなく、技術を教わっていなかっ たから負けたのだと思う。中学の体育の先生は、跳び箱、鉄棒、相撲などをよ く課してくれた。
幼児期、少年期、青年期のライフ・サイクルから見て自然の筋肉が、どうつく ものなのか(人間と環境)。へーシンク選手の話しでも考えたことだが、それをコ ーチ学からとらえると。「自然の日常生活の流れの中でつけた筋肉が理想であ る」ということではないだろうか。もちろん私の仮説である。
私は1996年8月30日の筑波市民講座スポーツ医学の中で、特に成長期の傷害 について、筑波大学体育科学系教授、林 浩一郎、宮永 豊、下条仁士先生、 筑波大学臨床医学系整形外科 宮川俊平先生の筋肉の研究家に尋ねてみた。
「私の自分史で見ると自然の日常生活の流れの中でつけた筋肉が理にかなって いると思うけれどもいかがなものでしょうか。」先生方の意見は「幼・少年時代 は多種目の遊びの中から生活筋肉がついてくる。それから中・高校時代は多種 目の競技スポーツから自分にあったスポーツを選んでゆき、中・高校、大学時 代はスポーツをシーズン制で行い、いろんな筋肉を身につけることが重要であ る。それがスポーツにおける成長期の傷害が減少する原因の1つである」とい うことであった。日本は少年時代から野球ではリトル・リーグで1種目でスポ ーツを行い、大学時代まで同じ種目しか行わない。これがバーン・アウトや成 長期傷害の原因であるということであった。私もこの講座でプロレスラーと怪 我で「私の傷害体験」を発表した。この意見交換から自然の日常生活の流れの 中でつけた筋肉が理想であるという私の仮説が裏づけられたと思った。
この問題を柔道を例にとり考えてみる。女子柔道のアトランタ五輪代表の田 辺陽子選手の場合は、高校3年のときの授業で面 白そうなので選択したのが柔 道との出会いだという。高校入学と同時に陸上の槍投げと砲丸投げをやり、1年 生のときは正しい走り方を徹底的に練習して、自分の専門種目に移ったのであ る。もちろんここでも専門種目の基礎体力を強化してから、槍投げと砲丸投げ の技術練習に入った。彼女は高校2年生で全国高校総体に出て、3年生でベスト 8に入ったのである。高校3年から始めたが、陸上で学んだことや練習してきた 事は一つも無駄になっていないと思うし、むしろ、彼女の現在の柔道の基礎を 作ったのが、陸上の練習であったのではないかと思う。この田辺選手の事例は スポーツ種目一般についてもあてはまるのではないだろうか。さらによく言わ れている「心(精神面)、技(技術面)、体(体力面)」のバランスの大切さはど んなスポーツ種目にもあてはまり、こうした大きなバランスに即して、身体の 自然の流れの中でつける筋力が意味があるのだと思う。
1988年のソウル五輪女子66 kg以下級の柔道金メダリスト、佐々木光選手の 場合は、中学1年の時、陸上をやっていたので足腰は丈夫であった、その身体 を見た近所の道場の先生に誘われ、始めたのだという。最初は週2回で各1時 間ぐらいで、1年後に市のスポーツ祭で優勝し、陸上ではいくら練習しても勝て なかったが、柔道で勝つことができた。しかし、このようなプロセスで「柔道 は簡単だと思ったのが間違いだった」と後で反省している。過去の競技歴でつ いていなかった体力、たとえば受け身に必要な基礎体力や柔軟性を改めて自然 に身につけなければならなかったからである。

>next