ジャンボ鶴田メモリアル献花式にご参列をいただき心より感謝申し上げます。
プロレスラー「ジャンボ鶴田」として26年間皆様に応援され、筑波大学大学院卒業後は大学講師として3年間、新しい出会いを経験させていただきました。
 「第2のジャンボ鶴田」を構築するべく平成11年3月からはポートランド州立大学の客員教授として家族と共に渡米し、来年3月にはロサンゼルスにある南カリフォルニア大学へ移り研究に努める予定でした。
 しかし今年1月母子感染B型肝炎の為に肝臓移植を医師から勧められアメリカで実兄から生体間移植を行う予定でしたが残念ながら不都合の為諦め、他国で脳死移植手術を受ける決心を致しました。幸いにも韓国、オーストラリア、フィリピンと3カ国で移植リストにのる事が許され、4ヶ月待機後、(報道されている様な末期ガンではなくまたガンがあればリストにのる事は不可能)同じO型の血液の国民が約60%以上で、またO型の脳死移植を待っておられる患者が少ないというフィリピンでの移植の経験があるという患者と出会い、慎重に審議した結果 、本人の私達をフィリピンに連れていきたくないという意志で私達をオーストラリアに残し、友人と共にフィリピンへ渡りました。移植リストにのるための検査終了後は、マニラ市内のホテルで友人と共にのんびりと待機をしておりましたが、12日には待ちに待った手術を受けることになりました。
 フィリピンの元大統領の主治医でもある優秀な医師達に囲まれ、95%以上の成功率という手術の中で残念ながら出血が止まらず最期を迎える事になりました。残された私達はあと一歩のところで第2の人生を掴む事が出来なかったという悔しさで一杯です。
  主人は4月にオーストラリアで「ジャンボ鶴田基金」を発足致しました。自国に高医療レベルが有りながら海外でしか命をつなぐ事が出来ないという悲惨な現実の中、少しでも患者やその家族の精神的負担を少なくしようと日本語の新聞の普及やポケットベルの増加、寄附等に奔走しておりました。日本において脳死移植を推める事が自分の使命の一つとして努力をしていた主人の後を継いで私達は「ジャンボ鶴田基金」を今後も推めていく決意であります。「脳死後、臓器の提供は人間として出来る最期の他人へのプレゼントである。」とアメリカのある外科医は私達に教えてくれました。
  主人の死が一人でも多くの移植を待つ患者の「生命」につながる様、今後も努力していく所存でございます。
 「人生はチャレンジ!」とプラス思考でどんな困難な事にも決して背をむけることがなかった「強いジャンボ鶴田」そしてやさしく見守る父親である「鶴田友美」を父に持った事を誇りにして3人の子供達を育てていきたいと思います。 主人の死という現実をまだ受け入れる事が出来ない私達ですが今日このような大勢の皆様と共に「ジャンボ鶴田」を送ることが出来ました事、感謝致しております。 有り難うございました。

平成十二年六月十八日           鶴田保子